アニメ「チ。ー地球の運動についてー」を見て

久々に契約配信サービスに加入をして、アニメを見ています。

このアニメは、教会の教えとして「天動説」が説かれる世界線で、

学者たちが、弾圧の中でも真理を追究していく物語。

とても面白いのでお勧めです。(まだ12話までしか見ていないけれど。)

 

で、そのアニメの中に、

「あの、あまり他人を排除しすぎると、間違いに気づきにくくなるのでは。

それは研究にとって良くないんじゃ。・・・彼は自ら、自分が間違っている可能性を信じ、それを受け入れた。」

「俺が言いたいのは、自らが間違っているということを肯定する姿勢こそが、学術とか研究には大切なんじゃないかってことです。第三者による反論が許されないなら、それは、信仰だ。」(第12話10:00前後のシーンより)

 

という一節があり、、、、目から鱗、というか、日々の姿勢とか、諸々考えさせられるセリフでした。

人は、悩み事がある時とか、切羽詰まっている時、いちいち考えている余裕がない時、

その場にあるものを疑う事なく、真正直に受け取るきらいがあると気づいたからです。

 

もちろん、ここで言っているセリフは、

真理を追究する者として、本質に迫ることから、離れてしまうのではないかという苦言であることは明白ですが、

少し応用して、幅を広げてみると、自分の行動根拠にたいする分類ができるのではないかと思えたのです。

(セリフとは、話がずれてきていることは自分でも分かっていますが、私の実生活の中で真理に迫るタイミングが希薄ですので。)

 

私自身が、生活をする上でも、

今、行動をしようとしている根拠は、

①自らの信念によるものか(≒信仰、自分の選んでいる善悪、ポリシー)

②真に機械的に迫られて、実施せざるを得ないものか(≒仕事での義務、社会人&大人としての義務)

 

①の信念である場合、個人の価値観であったり、心を揺さぶられる感情に基づいたポリシーであったり、

個々の個性が色濃く出ます。

②の義務である場合、個々の個性というよりも、個が今置かれている立ち位置であったり、状況が反映されるでしょう。

 

また、アニメのように、真理に迫るものであれば、

①の中に包含される、高尚なものとして、

「①私は真理を追究したい。≒①´真理を追究することこそ、生きる意味だ。」

という考えも成り立つかもしれません。

「真理を追究する」と「研究成果を自分自身の手柄とする」ということが、

同時に①の中に入りきらない場合、優先順位をつけることも必要かもしれません。

 

いずれにせよ、私が、このシーンを見て思ったのは、

 

①自らの信念によるものか(≒信仰、自分の選んでいる善悪、ポリシー)

②真に機械的に迫られて、実施せざるを得ないものか(≒仕事での義務、社会人&大人としての義務)

 

①②を混同していないか、自分の中で問いかける必要があるな、ということです。

私自身は、②を、無理やりに①であると自分に刷り込ませ、実施する中で、負担がかかり、

何かを妄信する癖がある様な気がするので、

 

(例)

②の仕事は、私が実施しなければいけない!頼りにされているんだから!

頼りにされるってことは、私が必要なはずよ!かつ、しなければいけない仕事!貢献することこそ、私の生きる意味!(←妄信)

 

毎回、こんな風に仕事をしていたら、へとへとです。

もう、そろそろ大人になって、自分を騙さず、なだめすかすために、思い込む癖もなくし、

真実を理想と分別して、生活を送ることができるようになりたいな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

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